東京の音と場

遺品の整理は一度経験している。両親の家に残された膨大な家財と思い出の品々の整理に結構手こずった。今度はまだ自分達はピンピン生きているのだが、膨大な家財や品々の数々を葬った。これも結構な時間と体力を使ったが、なかでも残しておくべきか否かの決断に相当のエネルギーを使った。結局、家財のほとんどを業者さんの力を借りて整理したが、それでも段ボール20箱ほどの荷物を音と場スタジオに送ることとなり、このゴールデンウィーク明けにようやく全ての整理がついた。3度目の遺品整理に立ち会うことはないと思うが、同じような苦労をかけないようにと思う。そのためには、これ以上ものが増えないように心がけるとするか!! ほんまかぁ?と横で相方が突っ込んでくる。

整理しているときに、やはりというか古いカセットテープがごろごろと出てきた。どうやら1983年に買い求めたヤマハのDX7という画期的なシンセの音を断片的に録音したものらしい。弾けもしない鍵盤で一生懸命怪しげなコードから打楽器系の音源をヒットする様が記録されている。こういうのが捨てられない。ほんと困ったもんで、一度断捨離したカセットテープがまたまた増えてしまう。それらを音と場スタジオに持ち帰り、なんとか音源とすべくデジタル化し始めた。

部屋という部屋がもぬけの殻となったあと、なにか記憶しておくことはないかと思案していたら思いついた。ここを生活の拠点としているときは日常化していたが、近くをひっきりなしに通る電車や車の音、あいさつを交わす人々の声などがシーンと静まりかえった部屋という部屋に聞こえてくる。持っていたスマホでその音を録音してみることにした。今、聴き変えてみると結構なまなましく聞こえてくる。まさにアンビエントだ。音と場の記録だ。なんて思いながら、新しいアルバムの制作に入っている。

4畳半ほどの小さな部屋にあった最初のホームスタジオ。TEACの144で録音を楽しんでいたらしい。

一番下がDX7(よく見えないが)、真ん中がローランドのJX-3P、その上がコルグのモノポリー。全部売っちゃったが、せめてモノポリーだけは手元に残しておくべきだったか? 今でも、ソフトウエアプラグインのMonopolyはベース音源として多用している。

姿かたちは変わってもその後コロナが猛威を振るうまで利用していたが、東京の「音と場スタジオ」は2022年4月末で店じまいとあいなった。

いろいろと整理がつき気持ちも新たになったところでototobatomosを再開することにしよう。。