頭のなかを歌、歌、歌が鳴り止まない。

この10日くらい頭のなかでなり止まなかった藤井風の「きらり」。実は、このシンガーソングライターを全く知らなかった。テレ朝、深夜に放送したシソンヌ、ヒコロヒーと共演した番組を録画してあったビデオを相方が見せてくれるまでは。これがめちゃめちゃ面白くてはまってしまい、YOUTUBEの追っかけしたのが運のつき。「きらり」と「まつり」は耳のなかというか毎晩頭の中をグルグル状態で苦しめてくれた。つい昨日ようやく消え去ってくれたが、その代わりに現れたのが折坂悠太。ある調べものでMUSIC MAGAZINEの2021年10月号を手に取ったのが、これも運のつき。宇多田ヒカルも衝撃を受けたとある楽曲「あさま」をYOUTUBEで見たのが昨晩。もう明け方まで、あの歌声が鳴り響いていた。すごいすごいよ、日本のシンガーソングライターたち。それにしても、「遅いよ、遅い!」と言われそう。

Zippoたち。

 煙草をやめてもう7年ほど過ぎようとしている。超がつくくらいのヘビースモーカーだったが、意外とすんなり禁煙できた。やめるとき、喫煙道具を捨てればよかったのだが、こいつらは お菓子の箱に大切に残されていた。蓋を開けるとあのオイルの香りがほのかに漂った。なぜか、はげ落ちたBarga Girlのエンブレムだけが残されていた。その理由を思い出した。いかんな! こんなことしてると、また勢いで吸ってしまいそうだ。

東京の音と場

遺品の整理は一度経験している。両親の家に残された膨大な家財と思い出の品々の整理に結構手こずった。今度はまだ自分達はピンピン生きているのだが、膨大な家財や品々の数々を葬った。これも結構な時間と体力を使ったが、なかでも残しておくべきか否かの決断に相当のエネルギーを使った。結局、家財のほとんどを業者さんの力を借りて整理したが、それでも段ボール20箱ほどの荷物を音と場スタジオに送ることとなり、このゴールデンウィーク明けにようやく全ての整理がついた。3度目の遺品整理に立ち会うことはないと思うが、同じような苦労をかけないようにと思う。そのためには、これ以上ものが増えないように心がけるとするか!! ほんまかぁ?と横で相方が突っ込んでくる。

整理しているときに、やはりというか古いカセットテープがごろごろと出てきた。どうやら1983年に買い求めたヤマハのDX7という画期的なシンセの音を断片的に録音したものらしい。弾けもしない鍵盤で一生懸命怪しげなコードから打楽器系の音源をヒットする様が記録されている。こういうのが捨てられない。ほんと困ったもんで、一度断捨離したカセットテープがまたまた増えてしまう。それらを音と場スタジオに持ち帰り、なんとか音源とすべくデジタル化し始めた。

部屋という部屋がもぬけの殻となったあと、なにか記憶しておくことはないかと思案していたら思いついた。ここを生活の拠点としているときは日常化していたが、近くをひっきりなしに通る電車や車の音、あいさつを交わす人々の声などがシーンと静まりかえった部屋という部屋に聞こえてくる。持っていたスマホでその音を録音してみることにした。今、聴き変えてみると結構なまなましく聞こえてくる。まさにアンビエントだ。音と場の記録だ。なんて思いながら、新しいアルバムの制作に入っている。

4畳半ほどの小さな部屋にあった最初のホームスタジオ。TEACの144で録音を楽しんでいたらしい。

一番下がDX7(よく見えないが)、真ん中がローランドのJX-3P、その上がコルグのモノポリー。全部売っちゃったが、せめてモノポリーだけは手元に残しておくべきだったか? 今でも、ソフトウエアプラグインのMonopolyはベース音源として多用している。

姿かたちは変わってもその後コロナが猛威を振るうまで利用していたが、東京の「音と場スタジオ」は2022年4月末で店じまいとあいなった。

いろいろと整理がつき気持ちも新たになったところでototobatomosを再開することにしよう。。

GETBACK 1969 

1969 年1月小生は高校受験前のまだ中学3年生。当時こんなことが遠くロンドンで起こっていたなんてまったく知らなかったと思う。

1969といえば村上龍。村上龍は1952年の2月生まれだそうで小生より1つ年上。小説「69」は1969年彼の16、7歳の高校時代の実体験がベースらしいが、時代背景にも当時の交遊関係にもネタが尽きずに楽しく執筆したのだろうと思う。2004年には妻夫木聡主演、メガホン李相日(フラガールの監督)脚本宮藤官九郎で映画化もされている。クドカンは「あまちゃん」におけるサブカル的台詞が話題になったが、この映画でもまさに水を得た魚で脚本を書いたと思う。

同じ時代を小生的には中学3年から高校受験を経て高校生として過したがこれほど破天荒な体験はしていない。でも、音楽を核としていろいろなカルチャーに出会う年としては加山雄三でもベンチャーズでもなく、ましてはビートルズが来日した1966年より圧倒的にエポックメーキングでエキサイティングな時間であったことは確かだ。

で、どんな年だったか? WIKIより(あくまで私的ピックアップ)

1月 東大安田講堂攻防陥落

2月 専売公社よりチャコールフィルターセブンスター発売

   夕刊フジ創刊

3月 NHKFM 本放送開始

5月 東名高速全線開通

6月 「むつ」日本初の原子力船浸水式

7月 アポロ11号が人類初の月面有人着陸

8月 8月15日から17日 ウッドストックフェスティバル

   15回甲子園 三沢高校と松山商 延長18回の死闘再試合

9月 新東京国際空港建設開始(開港は1978年5月)

10月 ドリフ「8時だヨ全員集合」放送開始

   「サザエさん」放送開始

11月 日産自動車が「フェアレディZ」を発売

12月 営団地下鉄千代田線開通

で、この年の歌謡曲が凄い

夜明けのスキャット(由紀さおり)ブルーライトヨコハマ(いしだあゆみ)長崎は今日も雨だった(クールファイブ)港町ブルース(森進一)恋の奴隷(奥村チヨ)グッドナイトベイビー(ザキングトーンズ)いいじゃないの幸せならば(佐良直美 第11回レコード大賞大賞受賞曲)などなど。

その1969から52年だって。

もうすぐ古希というオジンがこの年末年始に深夜というか早朝は、ほぼIPAD片手にGetback Sessionを見ていた。へたなミステリー映画よりハラハラするシーン万歳で翌朝はもうへろへろ。いろいろな本をベッドの周りに置いて誰がだれかを確認しながら見ていたので余計疲れた。Part3にむかって徐々に期待感たっぷりで、やはりRooftopの演奏は何回見ても素晴らしい。

内容はものすごい勢いでYOUTUBERたちが熱っぽく語っているので(ものすごい量)で、会話や当時のメンバーの心理状況を知った気になれる。あらためて感じたのは、4人が一体となって演奏を始めると、なんというか音がうねりまくって前に出てくる。まさにバンドである。ポールが一発録りに拘ったわけが分かる。

ポールがコードぐらい覚えてこいよ(来いよとは言ってないが)と言うシーンがある。昔、おじさんバンドの時よく言われたことを思い出して懐かしくなった。

追記)ROOFTOPのパーフォーマンスを見ていて??がいくつかある。3人のアンプ以外にジョージのすぐ後ろにあるアンプと後ろにあるエレピっぽい(HORNER Pianet)のは何の曲のために置いてあったのか、LET IT BE あるいはFOR YOU BLUE? また、ミキシングと録音はアップルコアの地下で操作していたらしいが、これだけの配線をどうやって地下まで引き回したんだろう。最後に、けっこう風が強そうだが、ストッキングを巻いただけでマイクの風防ってできるものなのか?等々、録音技術的にも興味がつきない。

OTOTOBATOMOS 4/4 Final

新作をBandcamp.comでリリースしました。

古い写真を整理していたら、30数年くらい前のパリの風景写真が100枚くらい出てきた。いずれも、有名観光地とかのものではなく、街をうろつきながら撮ったスナップショットがほとんどだったが、その写真の中で一枚がとても印象的で気に入り、ジャケットデザインに使うことにした。楽曲ではなくジャケット制作から始まったアルバムは初めてである。8曲中最後の2曲は2年前くらいに発表したものをリマスターしたものである。

OTOTOBATOMOS 3

新作をBandcamp.comでリリースしました。40年以上も前のカセットテープに残されていたフィールドの音を散りばめたアンビエントアルバムです。2曲で40分と長尺ですが、寝る前にでも聞いてみてください。運転中のご視聴はくれぐれもご注意ください。

ジャケット写真も当時自分で撮ったのものを使いました。赤茶けた紙焼きをデジタル化してPHOTOSHOPで加工しました。今はもう線路は残っていないようですが、この辺りの風景は記憶の底に残っています。

この暑さの中、断捨離をしながらの録音、我ながらクレージーだと思う。

Athens Ohio 1976-1978

カセットテープの断捨離をしているしている時に40年以上前の音の断片と再会した。今は赤茶けてしまった不思議な写真とともに即興でアンビエントなトラックを作ってみた。そろそろATOMOS_3の制作を開始したいのだが、スタジオ機材や楽器の大型断捨離を控えていて気分が落ち着かない。

Remix “The Selfish Giant”

aodamobeatsの音源をパズルのように配置しながら進めたリミックス作業は結構大変だった。勉強することも多かったが、即興的に作った曲の構造を分解するという作業はもう二度としないと思う。ただ、ファーストアルバムのどろどろとした雰囲気をaodamobeatsの2曲のリミックスが少し洒落たものに変えてくれたことに感謝したいと思う。ビデオはサラリーマン社会の風刺というこの曲のテーマを今の日本の政治に置き換えて見てもよいかもしれない。。。。

復習。

Aodamobeatsがまたまたリミックス企画を提案してきた。今回も前回に引き続き、ファーストアルバムから人気曲(?)「The Selfish Giant」を取り上げてきた。この曲は、自分自身、昨年春にスタジオマスコット犬の音が我スタジオに来たばかりにまさにリミックス録音をして完成させていた。

今回のリミックスのリミックスは結構やっかいだった。前回は完パケファイルをaodamobeatsが送ってきてくれたので、それにミュージックビデオを作る作業だけだったが、今回は合計5つのトラックを送ってきた。それをミックスダウン、いやリミックスダウンするということになった。これが、結構大変な作業だった。自分の創った曲がいかに難解な構造をしているかを思い知ることになった。現在、MVの最終段階でもうじき発表する予定ですが、皆様にももう一度その曲を思い出して頂ければと、本コーナーに掲載しておきます。

The Remix “Blues for Silly Charlie”

最初のアルバムを制作してからもうすぐ3年近くになる。「The Garden」はElektronのOctatrackとAnalog4だけでSDレコーダーを廻しっぱなしで作った極めて即興的なトラックばかりだった。OTOTOBATOMOS VOL.2の制作時に、「以前の曲のリミックスを作ってみようよ!」というaodamobeats からの話を冗談めかしに聞いていたが、本当にREMIXしてくれた。その際、Sillyという単語は「ばっかやなぁw」とか「このおばかさんw」的な比較的、好意的なイメージがあると指摘を受けた。」「この曲の暗いイメージからは、Idiotみたいなきつい言葉が合うんだがなぁ!?」というコメントがあった。その通りと思った。でも、ストリーミングサイトによってはCharlieがCarlieとなっているものもあるし、、今更タイトル変えられないよな。。と思う。

ちなみに「The Garden」のジャケット写真は、もともとbacchanが散歩中に見つけた排水溝の蓋に生息する植物たちを撮った一枚をモノクロ加工したものだ。せっかくなのでオリジナル写真を載せてクレジットした。皆さんに改めて感謝である。もっとリミックスつくってみよう〜っと!!

ライティング

OTOTOBATOMOS VOL.2の映像版5本(プラス番外編1本)は光と影で演出しようなんて生意気にも企画した。ところが、これが結構大変だった。プロが使うライティング機材なんて一切ないので、PCのモニターやテレビの映像、鳴らしているシンセや音響機器などの液晶ライトそのものを利用した。それらの光を強調するために部屋のライトを消して撮影していたので、テイクを重ねるたびに、机の角や椅子に体をぶつけて随分と痛い目にあった。その度に三脚の角度も微妙にズレてしまってセッティングをやり直したりと、とても素敵な一か月の深夜を過ごした。そういえば、広告会社の新米営業時代、CF撮影の現場でライティングマンたちに「そこのガキ!邪魔だ、どけっ!!!」とよく怒鳴られたことを思い出した。でもこの人たちのプロ意識から学んだことは多かった。でも、みんな怖かったなあ!

このところ。。

あっという間に5か月が過ぎようとしている。映像制作もかなり凝ったことができるようになり、技能習得のための制作からよりクリエーティブなアプローチができるようになった。反省としては、映像が中心になりすぎて、本来目指すべき音作りがおろそかになってきたと感じていた。で、一念発起して朝のルーティン、音くんとの散歩で見る景色にインスパイアされて伊豆相模湯河原ジオラマ版OTOTOBATOMOS VOL.2を1か月ほどで完成させた。今回のアルバムは初めて自分で何回も何回も聴き返している。これで、OTOTOBASTUDIOもECMに近付いた?のかな?でも初めて自分が好きなアルバムを作れてとても嬉しい。

でも、朝3時ごろ起きて録音するというスタイルは、この2年くらい変わらないが、自分の体力と健康を考えると、そろそろ日常に戻したほうがよいかな!と考えている今日この頃である。